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会報第79号(2004年1月15日発行)より
本年度(2003年4月)JTB社に入社された冨吉貴浩さんからの「ハワイ雑感」です
今回、ホノルルマラソンに合わせて入社してはじめての募集ツアーを実施しました。車イス利用者2名、介助者1名、その他参加者5名のこぢんまりとしたツアーです。12月11日、冬の気配が強い日本を脱出し、ノースウエスト航空でホノルルに向けて旅立ちました。
ホノルルまで約6時間半。出発前にトイレに行きましたが、やはり機内でもトイレに行きたくなります。今回の飛行機はジャンボジェットと呼ばれるボーイング747-400型機でした。車イス利用のM氏は狭いトイレよりは横になって尿瓶を使用するのが良いそうですが、ギャレーという乗務員スペース(食事とかのワゴンがあるところ)は衛生上の理由で不可ということで、最後尾のトイレを使用しました(当日の乗務員の判断によるようです)。車イス対応ということでしたが、手すりがついているのとスペースがやや広いというものでした(同じ型番でも機材によってレイアウトは変わってきます)。私も手伝いましたが飛行機のトイレは如何せん狭い。サルのようにトイレの中を上り下りして汗だくになりながら移動しました。機内でスーツから私服に着替えていたのは正解でした。新しい飛行機ではイギリスへの直行便を運行しているヴァージンアトランティック航空の多目的トイレのように奥行き1m強×幅2m(便座に座っての目測)とかなり使いやすそうなものもあります。
ホノルルに到着して最初に感じたことは、車イス利用者とその他の参加者ではトイレにしても何にしても本当にペースが違うということです。空港到着時のトイレでのことです。車イスの方のほうがやはり時間がかかってしまいます。そのときにツアーとしてはどう動き、どう説明して、お客様とどう接するか。頭ではわかっていましたが、「では自分はどうしたらいいか」ということになると、やはり難しかったです。車イスの方にも快適に、他の方にも快適に過ごしてもらうことを考えなければなりません。幸い、参加していただいたお客様のお子様も福祉を勉強していたり、車イスでどうしたら旅行するのかということに興味を持っていただける方だったのでトイレで長い間待たせることにも理解を示していただけました。
ホノルルの街は噂通り車イスでも動きやすい街でした。歩道の切り込みが見たところ交差点には必ずあり、エレベーターも建物の端から端へ移動するということもなく、使いたいときにそこにあるという印象でした。また、街中に車イスをはじめ、しょうがいをお持ちの方をよく目にしました。路線バス(The
Bus)で備え付けのリフトを使っているのを目にすることはしょっちゅうですし、しょうがいをお持ちの方が店員としてレジに立っているということもありました。生活の風景の中にしょうがいをお持ちの方がいるのです。こういう環境にいればしょうがいをお持ちの方に「慣れる」のではないかと思います。当たり前にそこにいる、とでも言いましょうか。社会参加とはこういうことなのかもしれません。
車イス対応トイレの第一印象は「シンプル」だということです。ただそこに広いスペースがあり、必要最低限の手すりに抑えているところが多かったです。すべての方にフィットするものを目指すというより、汎用性の高いものを作っているのでしょうか。介助者付きでは使いやすかったですが、おひとりで使う方にとって使いやすいものかどうか、どなたかに感想を伺いたいです。
ホノルルにはJTBのお客様専用の「'OLI 'OLI(オリオリ)トラム」「'OLI
'OLIトロリー」という乗り物があります。トラムは車高が低く、全車両2台まで車イスで利用可能です。トロリーも2台に1台の割合でリフトが付いていますが、使いたいときになかなか来なかったり、きても壊れていたりすることもありました。まだまだ車イスで利用される日本人の方が少ないのかもしれません。
出発前に密かに決めていたことは、車イス利用のM氏とN氏にランディーズ(砂浜でも使える車イス)を利用してもらおうということです。2日目の午後、ヒルトンハワイアンビレッジ近くにある「プライムタイムスポーツ」というところでランディーズを借りました。ルックJTBのお客様ですと無料で借りることができます。今回はルックでない私たちも特別に無料で貸してもらいました。最初は「いいよいいよ」と言っていたM氏ですが、乗ってもらうと満面の笑み。足がぎりぎり水につくかつかないかのところまで進みました。するとあるひとりの白人女性が近づいてきて、熱心に「海に入るなら手伝いますよ」と言ってきました。詳しく聞いてみると、その息子さんも同じように車イス生活だとのこと。イリカイホテルのプールに昇降装置があり、そこなら簡単にプールに入れるとも教えてくれました。自身も高齢で手伝えるはずもないのに、熱心に手伝いを申し出るその方の心意気がうれしかったです。
12月14日、いよいよレース当日。ホノルルマラソンとレースデーウォークのスタートはそれぞれ午前5時と午前5時25分。あたりはまだ闇の中です。暗い中車イス利用者がポツンといるとお互い危ないということで、クラブツーリズムの伴流さんのツアー(25名程の参加者です。うらやましい!)の横にひっそりと身を寄せさせてもらいました。車イスが10台以上になると逆に目立つようです、通り過ぎる各国の参加者から「頑張れよ」という拍手をたくさんもらいました。人によって受け取り方はそれぞれでしょうが、私にはとてもあたたかい応援に思えました。
まだ涼しいホノルルの朝、10kmの道のりを約2時間半かけてツアー参加者全員が完歩しました。70歳になる参加者の方は、最初は不安からか控えめでしたが、ゴールが近づくにつれ沿道の応援の方にピースをする余裕ぶりでした。マラソンに参加したお客様2名もそれぞれ3時間26分と4時間半という快走でした。
その日の夕方、最後の夕食はサンセットクルーズに出かけました。エレベーターのある船が検査に入ってしまい、急遽用意した船は階段しかありませんでした。せっかくだからと参加者全員で電動車イスを持ち上げ2階席へ。窓から見える夕陽がとてもきれいでした。N氏がふいに黙り込んでしまった瞬間があって心配しましたが、帰国後に送られてきたメールには次のようにありました。「船で上にあげて貰って料理を食べている途中、パスポートからここまでしてくれたことに感動してしまって、チョットウルウルしてしまいました」(注:N氏はパスポートをまだ取得していなかったので、休みの日に都庁まで一緒に受け取りに行きました)
レースデーウォークから帰るときに迎えのリフト車と落ち合うことができなかったり、帰りの飛行機の座席割がひどかったりというハプニングもありました。プロに徹しられていない部分もありました。何より今回はお客様にも、大学生で18歳初介助という介助者にも本当に助けられました。ツアー担当者、添乗員としては反省すべきところを挙げだしたらきりがありませんが、最終的にお客様に少しでも満足してもらえたのならツアーを出してよかったのかな、と少しほっとしています。まだ第一歩です。これから本業の学校関係の仕事が忙しくなってきます。早く自分のペースを見つけてこつこつとやっていきたいと思います。とはいえ、現実の毎日は厳しいです。はい。
ハワイは本当にのんびりできるところです。アジア好きの私としてはある種偏見がありましたが、お金がある程度あるならばとてもいいところだということがわかりました。暖かくて、海があって、のんびりできるところがあって、夕陽がきれいで、マクドナルドのポテトがいっぱい入っていて。食事は血がドロドロになっていくのを感じました。それさえ自分でコントロールできれば問題はありません。
また来年ツアーを出せるよう頑張ります。
19時間プサン旅行(冨吉貴浩さん)
1泊2日のプサン旅行を企画しました。午後12時に到着して次の日の午前10時には飛行機で飛び立つので、実際は19時間の強行ツアーです。リフト付きバスがまだないという韓国。まさか車イス利用の方が5名も手を挙げてくれるとは・・・。
集まってくれた学生は7名。旅行関係の仕事に将来つきたいと考えている方がほとんどで、介助経験者2名以外は車イスの人に接することもはじめてでした。そんなこんなで今回の旅はスタートしました。
今回利用したのは大韓航空のA300‐600型機。機内用車イスは常備されていませんが、それぞれの空港で乗り降りのときに用意しておいてくれました。韓国人男性は徴兵制があるせいか体格のいい人が多く、乗り移りのときにスチュワードが軽々とからだを持ち上げてくれました。ただし持ち上げる前に意思確認などはあまりしません。滞在中同じ光景をよく目にしたので、もしかしたらこれは国民性なのかもしれません。
2時間のフライトだったのでトイレは特に問題なく、あっという間にプサン空港に到着しました。待ち受けていた大韓航空の係員は5〜6人。なぜこんなに?と思いましたが、すぐに理由がわかりました。ボーディングブリッジ(搭乗の際に使う長いトンネルのようなもの)の先には階段が10段。右に折れるとさらに30段。人海戦術で5台の車イスを下ろしていきます。ふと横を見ると階段昇降機があるではないですか。「あれを使おう」と言うと、「壊れている」との返事。さすがアジア。
今回利用したのは普通の大型観光バスでした。段差が3段あるのでもちろん担ぎ上げです。最初はおっかなびっくりだった学生たちですが、乗降ごとに動きがよくなっていくのがよくわかりました。14名では広すぎる大型バスでいざ市街へ。
プサンは坂だらけの港町。ホテルは高台にあり、部屋から港を望むとなんともいえない景色が広がっていました。しかし車イスに乗っている方にも、押している人にとっても坂道はやっかいなもの。交代で車イスを押していきました。二の腕が筋肉痛です。段差の越え方や、下るときに車イスの前輪を浮かせることなど、少しアドバイスするだけで学生はどんどん上達していきます。
ホテルに寄ってひと段落してからお散歩へ。向かったのは生活用品からブランド物まで何でも揃う国際市場。活気溢れる小路を歩いているだけでなんだか元気になってきます。屋台発見!飛行機の中で機内食を食べて以来何も食べていなかったので、みんなで買い食いしました。それもまわし食い。チヂミやおでんなどを、ハングルをかじっている参加者が注文してくれました。空腹のときのそれのおいしいこと!おいしいものを食べると笑顔になります。これで火がついて、目に付いたおいしそうなもののつまみ食い開始。特に花梨(だと思います)とはちみつが入ったお茶は好評で、私を含め4名が瓶ごと買い込みました。これからの季節、必需品です。
国際市場を後にし、水産物のチャガルチ市場に向かった我々の前にあったのは大きな道路でした。見渡せど横断歩道はなく、地下道があるばかり。とりあえずしばらく歩いてみることにしました。しかし行けども行けども横断歩道は見えません。そこに見つけたのは地下鉄の入口。階段の横に階段昇降機を発見しました。車イス利用のK氏が以前ソウルを旅行したときに地下鉄職員から渡されたという階段昇降機の鍵を差し込んでみるとぴったり。喜んで動かしてみるも、ぴくりとも動きません。開かない機械をガンガン動かしていたらひとりのサラリーマン風の男性が「ジャストアモーメント!」と一言言って去っていきました。何かと思っていたら駅員を連れてきてくれました。駅員が試してみるも動く気配はない。すると先ほどの「ジャストアモーメント」氏がなにやら通行人に声をかけはじめました。下ろすぞ、ということのようでした。階段は50段以上。「ジャストアモーメント」氏の指揮の下、駅員と10人ほどのプサン市民が老いも若きも手伝ってくれて、無事全員反対側の通りに出ることができました。のぼり口の階段昇降機は動いたのですが、ひとりをあげている間に3人が担ぎ上げられ、実用的でないことが判明しました。息が切れ切れだった駅員とプサン市民のみなさんに感謝です。
チャガルチ市場では鯨肉をみんなで買い食い。今回の参加者の年齢層は広く、下は20代から上は60代まで。鯨肉への思いも様々のようでした。
帰りはバスに迎えに来てもらい夕食へ。プサンらしく海鮮鍋をみなでつっつきました。現地ガイドが気を利かせて、業務用スロープがある店を用意してくれました。お酒が入ってみなさんさらに饒舌になってきました。その後部屋でゆっくり語り合いました。なんせ19時間しか滞在ですから、寝る間も惜しいです。
次の日の朝はまだ日が昇る前から散歩開始。早朝にもかかわらず交通量の多さに驚きました。近くの食堂でプサン最後の食事です。カルビクッパが胃袋に染み渡りました。キムチが何種類も出てくるのが韓国のうれしいところです。
こうしてあっという間に19時間は過ぎていきました。例のごとく人海戦術で飛行機に乗り込みました。さすがに帰りの飛行機ではみなさんぐっすりでした。
今回、しょうがいを負ってからはじめてひとりでご旅行される方がいらっしゃいました。成田空港では緊張した面持ちだったその方に、段々と笑顔が見えるようになってきました。旅は人を元気にさせるという言葉を思い出しました。それを支えてくれた学生の皆さんに改めて感謝です。後半はかなりチームワークもよくなり、頼もしい限りでした。しょうがいを持つ方が旅行に行くことは、何もその人のためだけではないのだと思います。学生が旅行終了後にくれた感想文に「最初はどうしていいかわからず戸惑った」とありました。そんな人があれだけ動けるようになるのですから。
介助未経験の学生が多い今回の旅行では、安全をどう確保していくかということが課題でした。しかしながら一番危なかった地下道を担いで下ろしたことが、車イスに乗っていた方も担いだ方も一番面白かったと口を揃えて言います。旅の楽しみとは何かというものを改めて考えさせられました。とはいえ最低限の安全の確保の線引きはこれから考えていきたいと思います。
しょうがいを持つ方のためだけではなく、一緒に行く方たちも何か感じる。そんな旅行をこれからも作っていきたいです。中身の濃い19時間でした。
-編集後記-
皆様あけましておめでとうございます。どんなお正月をお迎えになりましたか? 私は今年こそはと誓いを立てるまもなく風邪をひいて寝込んでしまいました。病院が休みの時に限って病気になるのが私の癖です。先日テレビで人は一年間で平均7回風邪をひくそうです。そんなにひくかしらと思いましたが・・・。とにかく寝込むような風邪や病気をせずがんばっていきましょう!今年もよろしくお願いします。(行武厚子)
正月と言えば、初詣、だからと言って鶴岡八幡宮へ詣でたわけでは有りません。正月休み明けの息子を送って、JR
湘南新宿ライン(総二階建て車両)に車イスと共に乗りました。これが結構、初詣客で混んでいたので連想しただけです。
駅員が案内してくれたのは、8両目後方(横須賀より)ドアーを入ってすぐの車イススペース、四人がけボックスシートの一席を切り取り平らにした所。これって、一見新幹線や特急車両と同じに見えますが、新幹線、特急の場合、車イスは常に進行方向前向きに座れますが横須賀線では、常に横須賀に向いて座るわけ。つまり、逗子→新宿間では進行方向後ろ向きになるわけ。
壁も窓も手すりも車輪止めも無い、電車の床に手動ブレーキだけで車イスを後ろ向きに止めて置くのってすごく不安なもの。ボックス席の一角に座った私は、車イスのフレーム前部分をズーット踏んづけ続けた一時間余りでした。
"バリアフリーは一朝にして、成らず"って所でしょうか。(丹羽 叡)
毎年1月には特別の楽しみがあります。1月10日になると今年も36分の1が過ぎたか。1月15日になると24分の1が過ぎたか、などと考えることです。毎年12月になると「えぇっ、もう残りはひと月、、、」と思っていた時期がありましたが、今は楽しみのひとつです。いつも時の流れは同じ速さなのだと自分で納得するために1月になると考え始めたことのひとつです。始めてみると毎日がとても楽しく新鮮な毎日を迎えることができるようになりました。今年も無作為に時を捨てずに、残り少ない1年という時を大切に捨てて行きたいと思っています。今年は書籍とLPレコードとCDの在庫記録を作ろうかなと思っています。本屋さんで立ち読みして「これは絶対に持っていない」と確信して購入して半分位読んでから「どこかで読んだことのある本だな、、、」と思うことが多くなったせいもあります。今年もよろしくお願いします。(室井孝王)
会報第78号(2003年12月15日発行)より
-オープンスクール『ゆにばーさるでざいん広場』開催される-
当会員(草薙代表、中沢さん、石倉さん)の活躍れている記事が掲載されていますので転載します。皆様の記事などありましたら、どしどしお寄せください。
「旅」などテーマに議論 先月、都内で公開教室だれにでも使いやすいことを目指すユニバーサルデザイン(共用)について様々な角度から考えようと、オープンスクール「ゆにばーさるでざいん広場」(主催・ユニバーサルデザイン・ネットワーク・ジャパンなど)が先月11月28日、29日に東京・新宿で開かれた。旅、ものづくり、住宅など六つのセミナーに分かれ、各分野の現状やユニバーサルデザインの考えをどう生かすかについて考えた。
「旅」のセミナーでは、全日空社員で障害者や高齢者の旅行支援を担当した石倉康範さんが、体に障害のある国内線利用者がこの10年で倍以上に伸びていることを報告。「どのような手伝いが必要なのか、社内でもまだ意識に温度差がある。人を育てていくことが大事だ」と語った。
また、障害者の旅行支援などを行うJTMバリアフリー研究所の草薙威一郎所長は「高齢者や障害者の旅行が増えるにつれて、段差の多い寺院など文化財のバリアフリー化が大きな問題となる」と指摘。原稿の文化財保護法は文化財の保存だけでなく活用を目的にしているが、文化財を改築してスロープなどを付けることは難しいのが現状。「世界中で同じ問題が生じている。これからの課題」と語った。
また、身体障害者の立場で発言したオフィス家具メーカー「イトーキ」社員の清水茜さんは「段差の解消など、ハードの部分を整備するとともに、人の手助けなどソフトの部分があることで、だれもが旅を楽しめるようになる」と語った。
この他、「住まい」をテーマにしたセミナーでは、静岡分化芸術大の古瀬敏教授が住宅建設にあたって「床に段差を作らず、車いすが通れる空間を確保するなどしておけば、将来、体に支障が生じてもわずかな改修ですむ」とアドバイス。
「接客法」を学ぶセミナーでは、聴覚障害のある神奈川工科大非常勤講師の松森果林さんが「たとえ手話ができなくても、メモ用紙を1枚、ポケットに忍ばせておけば、聴覚障害者に接する際にあわてなくてすむ。ふだんからいろいろな人が来ることを想定しておくことが大事」と指摘した。
(平成15年12月5日読売新聞夕刊より)
-編集後記-
先日何年振りかで夕方の渋谷へ出かけました。東横線でまず乗ったのは武蔵小杉駅、車椅子でも通れる自動改札をぬけ駅員さんを呼んでエレベーターに。車内では車椅子専用スペースに乗り人の邪魔にならずスムーズにいきました。渋谷駅ではやはりエレベーターが設置してあり、障害者用ではなく誰でも使用できるのが良いなと思いました。中には車椅子用にエスカレーターを逆回転させる駅もあり、その時は他のお客さんが乗れないということで結構恐縮してしまいます。それにしても渋谷駅は若い人だらけ。カップルもたくさんいて圧倒されました。年々遠くへ出かけるのがおっくうというか、恐怖に近いものを感じています。勉強会にもご無沙汰です。来年は積極的に外へ出ようが目標にしようかな。(行武厚子)
会報7月号から、編集委員に名前を連ねていたのに沈黙を保ってきました。この度、私事ですが
PC 機材を更新し、編集作業に必要な"ワード"や"添付テキスト"にも対応出来る体制が整いました。遅ればせながら、先行の二人に追いつけるよう頑張ってみます。よろしく。(丹羽
叡)
先日、ロサンゼルスの旅行に申し込まれたお客様から 「生活保護を受けている者が海外旅行なんかにどうして行くのですか」 と区役所福祉課の人から言われて憤慨したとの話を伺いました。とても残念で寂しいことですね。熊本県黒川温泉のこと、介助犬の受け入れを拒否した施設などなど、残念なことがたくさんあります。いつか近い将来に
「へぇ、そんな時代もあったの。信じられない!」
という日がやってきます。自然の流れでではなく、ひとりひとりが少しづつ努力して、桜前線みたいにだんだんと広がって行くのだと思います。美しい花で野山を飾るのでしょうね。きっときれいです。とても楽しみです。(室井孝王)
会報第77号(2003年1月20日発行)より
会報第76号(2003年1月20日発行)より
会報第75号(2003年1月20日発行)より
会報第74号(2003年1月20日発行)より
会報第73号(2003年1月20日発行)より
会報第72号(2003年1月20日発行)より
会報第71号(2003年1月20日発行)より
会報第70号(2003年1月20日発行)より
会報第69号(2003年1月20日発行)より
会報第68号(2003年1月20日発行)より
会報第67号(2003年1月20日発行)より
-行ってきましたこんな旅-
クラブツーリズム バリアフリー旅行センター『みんなでGO!倶楽部』遥かなるアンデスへの旅10日間
会員 伴流高志さんがお仕事で添乗された時の様子をお寄せいただきました。
昨年12月14出発でペルーのツアーの添乗に行ってきました
今回、3000Mを超える高地での旅行のため、ツアーの参加条件として脳血管障害の方や高血圧症の方、心臓疾患のある方等の参加はご遠慮いただきました。車椅子での参加者の構成は対麻痺(歩行機能全廃5名・内松葉杖利用3名)、脳性まひ(失調型1名)、高齢のため(カフ付きの杖利用1名)の計7名様でした。
(参加者合計9名様)
観光地は、リマ市内観光(天野博物館では特別に展示品を触らせてもらいました)・ナスカ地上絵(地上観光とセスナ観光)・クスコ市内観光(世界遺産の町で夜景がとっても素晴らしかったです)・マチュピチュ観光(名物グッバイボーイと記念撮影!)・高原列車(クスコからプーノ/約10時間の豪華列車の旅/3000M以上の雪に覆われたアンデス山脈を臨みながら雄大な高地を走るのでちょっと感動...)、チチカカ湖遊覧(葦でできた舟にのり、葦でできた村を訪れます)等等、盛りだくさんの企画でした。
特にほとんどの参加者皆様の念願であった“マチュピチュ観光(空中都市)”では車椅子1台につきアシスタントを2名同行してもらい、場所に応じて2名で車椅子を前後で持ち上げたり、1人が負んぶをしてもう一人が車椅子を運んだりと、工夫して安心して安全に観光することができ、(全体を見晴らせる“見張り小屋”から“石切場”を通り、中央神殿等、町の中も十分に見学できました)皆さんとても感激されていたのが印象的でした。
南米ペルーは、アジアや中近東等とはことなり、一般的に観光地・レストランなどでは洋式トイレなので(観光地での車椅子用は少ないですが洋式トイレの間口が広いので利用できました。しかしトイレが内開きのトイレが半数はあるので、対麻痺で歩行困難な方にとってはちょっと使いずらかったみたいです。対応としては同性の介助者がイスをいったん便座の隣に並べて便座にトランスするという手法をとりました。)問題ありませんでした。
(ご本人は大変ですが...)
食事は、とても美味しく(ヨーロッパ並)。ホテル(4〜5ッ星は)も車椅子を利用されている方にとっても、とても利用しやすかっったです。
いままで、インド・ネパール・エジプト・トルコ・中国(三峡)(敦煌)・南アフリカ(ジンバブエ・ボツワナ・南ア)等の比較的チャレンジ旅行でのツアーの企画・添乗をおこないその中でもペルーは、飛行時間がいきかえりともに丸一日かかり、最高標高4200Mでの添乗で一時は高山病にかかりそうになりちょっとたいへんでしたが、いままで訪れた観光地の中でとても感動的で思い出に残るところでした。
そして今年もチャレンジャーなお客様達ともっともっとアクティブな旅を続けたいと思います。
-編集後記-
大阪のUSJに遊びに行って来ました。何かと話題が多い施設ですが、ご多分に漏れず連休中なのに結構すいていました。ここはTDRと違い「障害者割引」の入場券があります。まあ、その是非は別にして、得した気分!は間違いなしです。(木村朋子)
会報第61号(2002年7月18日発行)より
-編集後記-
今はもう卒業されてしまっていますが、11年前この会の初期のメンバーでも在り、私にこの会を紹介してくださったかたと、たまたま電話でお話する機会がありました。「まだやってるの?」とはじめはおどろいた様子でしたが、webサイトがあること「jata2001」のブースの運営を任せられていること、バリアフリー旅行実践、ホテル専門学校の授業のこと等、会の成長ぶりに再度驚いた様子でした。この私も会の発足に遅れること4ヵ月少々で参加、気が付けば「超古株」そして運営委員。会報担当も5年目。これからも微力ながら会の運営に携わっていきたいと思っています。今月号では会の規約を掲載しました。ご一読ください。(木村朋子)
(木村朋子)
会報第60号(2002年6月18日発行)より
-編集後記-
5月にお話してくださった田所さん(全家連)の授産施設「ZIP」でこの会報も印刷、発送が行われています。勉強会でもとてもお世話になっています。ZIPで働く皆さん!これからもよろしくお願いします。(木村朋子)
会報第59号(2002年5月14日発行)より
アンニョンハセヨ 韓国の友人たち
去る4月20日、24日と2度にわたって、「アジアの平和と日韓障害者文化交流のための愛の音楽会」を京畿道水原市(キョンギドウ・スゥオン市)と首都ソウルで開催した。
日本からの参加者もとより、現地での参加者、聴衆、そして市民に大きな感動と歓び、励ましを与えたと喜んでいただくことができた。
私たちの合唱団は2年前の5月、21世紀へのメッセージ「平和を祈る第九コンサート」をNYのカーネギーホールを行った。しかしながら、その願いも叶わずあのテロ事件で世界中が震撼させられ、世界不安は今も続いている。10月には「祈りのコンサート」を行い、ニューヨーク市への見舞金、アフガン難民救済への寄附を送った。そして、私たちは"アジアの平和を祈り、ささやかな友好親善を深めるべく日韓共催でのコンサートを立案した。昨年夏のことであった。幸い韓国国立芸術総合大学の禹光赫(ウ・カンヒュック)教授、"愛の声インターネット放送」の李銀景(イ・ウンギョン)
本部長という素晴らしい逸材をパートナーに得て一気に計画が進んでいった。また、障害者への関心をもっと高めたい、障害を持つ音楽家や芸術家を激励し、育成したい、W杯共同開催を通じて両国の友好をさらに促進させたい、という希望もこのコンサート開催の目的として加えられることになった。
これまでの海外での演奏会は準備に2〜3年を要したが、今回は昨年8月に韓国側との接触開始、11月に打合せのため訪韓、それから急速なペースで準備が進んでいった。しかしながら、その道は進むにつれ平坦さから紆余曲折限りなく、となっていった。日本人は一般に用意周到な準備、細部まで細かく詰めていくのに比べ、韓国側では相当大きな催しでも概して動きが遅く、1〜2ヶ月前から火がついたように動き出し、その中でも頻繁に計画や内容が変わっていくことがよくあるとのこと。そしてあまり慌てる様子もないらしい。日本人には耐えられない思いである。言うところの「ケンチャナヨ = No Problem!」であろうか。私たちも、例外ではなかった。韓国側の主催者「愛の声インターネット放送」の李代表はKBS(韓国放送)のもとキャスター。熱情溢れるキャラクターの持ち主であるが、スポンサー、予算、会場、オーケストラ、演目、指揮者、練習日程はもとより旅行スケジュールそのもの(訪韓するのは日本側の我々です!)それらの準備が進められていく一方で次々に変更を申し入れてくる。練習日時も直前までわからず、しかも前日になってもまた変わる!毎日が安堵と不安、希望と失望、喜びと怒り、胃がきりきり痛む、睡眠不足でなおのこと頭が冴えない!・・・・・・・そんな出発前であった。
そして、4月15日、一足先にソウルへ発ち、現場設営に臨んだ。さらに現地でも大小の変更や新しい事実が見えてきた。それだけに、ゲネプロ(本番前の全体練習)でステージいっぱいの出演者(前後2回の演奏で、日本からは32名の障害を持つ人を含む80余名:合唱団、和太鼓・大正琴チームと40名のサポーター、韓国側から180名の合唱団:障害者多数を含むに加えてオーケストラ、先天性四肢欠損のピアニストや視覚障害者のサムルノリ奏者や中途障害のヴィアオリニストや声楽ソリストなど総勢300余人)が勢ぞろいし、「アンニョンハセヨ」、「こんにちは」とお互いに挨拶を交わし、第九、さらに日韓両語での唱歌へと練習が進んでいくとこれまでのあれこれが脳裏をかすめ、胸に熱く大きく込み上げるものがあった。
韓国では日本ほど第九はポピュラーではないし、まして重度の障害を持つ人たちがこれほど多く大規模なスケールで演奏会を開いたことはほとんど例がなかった由。加えてあまり人前に出ることもないらしい。私たちの合唱団では音域の狭い人たちのために第五パートを編曲導入しているが、これを含めて韓国側では昨秋来猛練習したとのこと。その熱意と関係者の協力と、演者相互の友情が見事に花開き、愛の音楽会は2回とも盛況の内に終幕を迎え、出演者と聴衆全員が一緒に"故郷の春"、"ふるさと"大合唱、鳴り止まぬ拍手がいつまでも続いた。
現地では、その後もKBSを通じて一般市民、あるいは愛の声インターネット放送の受信者からもたくさんの嬉しい反響が寄せられているとのこと。私たちの試みは、参加者同士の友情を高め、韓国での重度の障害を持つ人々を取り巻く社会環境に大きなインパクトを与えたようである。私にしてみれば、愛の音楽会を成功裡に終了できたことが嬉しいし、今回の催しを通じて李銀景(イ・ウンギョン)女史はじめ韓国の多くの人々と友人になれたことが大きな喜びである。そして、この催しに対し寄せられた多くの後援・助成・協力に対してお礼を申し上げたい。アンニョンヒカセヨ、そしてカムサハムニダ!
小野鎭(私たちは心で歌う目で歌う合唱団、NPO ゆきわりそう事務局長)
-編集後記-
●先月末13年間飼っていた愛犬「リク」が亡くなりました。番犬として活躍していてくれたのに、亡くなる数ヶ月前から鳴かなくなり名前を呼んでも反応せずただ狭い庭をうろうろ歩き回る状態。でも最後は眠り続けるように安らかに亡くなっていきました。まだ庭をのぞくとでんと座ってしっぽを振っているような気がしてちょっと落ち着きません。気分は喪中です。(行武厚子)
●5月の例会では「クルーズ」の楽しさをたっぷりと聞いて多いに影響を受けてしまいました。十数年前「ふじ丸」で1泊クルーズをしたことはありますが。「美しい地球に会える」ロマンチックですよね。(木村朋子)
会報第58号(2002年4月12日発行)より
福岡=東京2年間で、25回!(会員からの寄稿)
鉄道の通ってない町から、大都会、東京に初めて出てきたのが今からちょうど20年前の夏、高校を出たばかりで、私は1人で何もかも手配をした。当時は、親の会社とは言えチャント経理をしていて、休暇をとり洋裁の通信教育のスクーリングを受けるため新宿にある文化服装学院に行ったのでした。
まだまだ今の様に杖など突いてなくて一見して障害者とは分からない位だったし、小中高校とスポーツもしてた為、体力もありました。重たいバックを抱え家の前からバスに乗り、最寄の駅折尾駅へ、それから鹿児島本線で博多駅、またバスに乗り福岡空港に、そして修学旅行(沖縄)で飛行機に乗って以来、大好きになった飛行機に乗れるのに胸わくわくさせて乗ったのを今でも覚えています。
乗る時に名前を呼ばれ、障害者割引を使った為、根掘り葉掘り聞かれてしまいました。
憧れの日本航空。気分は、子どもの頃のTV「アティーションプリーズ」です。キャビンの側に座ったのを覚えています。今、思えば、いつでもスチュワーデスさんが見れるようにかなぁ〜と、思います。あれから20年、海外には12回、国は14カ国,船旅1回、あとは、すべて航空機。
また、東京=福岡間は、ここ3年間の間に増えています。が、私自身年々足が悪くなり、障害の程度も4級2種から2級1種となり、バリアと言うものを、ひしひしと感じられる様になりました。「交通のバリア」これは私にとって、すごく問題です。まず、家から空港までの交通手段です。家の前からバスが出ていますが、本数が少ない。北九州市営バスで、「交通バリアフリー法」に基づき路線バスには、ノンステップバスを増やしています。
だが、本数が少ないのが、要するにこれは行政の管轄の違いなのです。私の町はお隣の北九州市から路線バスをお願いしていますが利用頻度が年々減少している為だと推測されます。
一方で住民の声として交通アクセスの悪さが指摘されています。高齢化率も高いのに郡内で福祉バスが無いのは、私の町だけです。 話が脱線してバカリですね!
話を元に戻します。私は片杖になってから、最寄の折尾駅がまず苦労する所です。昔の建物を保存すると言う市の指定が掛かっている為、改装は出来ないと言うのです。主な鹿児島本線は二階にあり、石段の幅の狭い階段で段数も多く、かろうじて私はまだ落ちた事は無いのですが、聞く所によると落ちて怪我をなさっている方もいるとの事。
乗降客が鹿児島本線でも4位ぐらいに多いんですよ!
そして、改札口から階段を上がると一番端なのですが、降りる駅、つまり博多駅のエスカレーターのある所(1箇所)に降りようとしたら乗る車両はまったく反対の端なのです。8両分歩かなければなりません。
「つらい・・・」博多駅ではホームから改札までに続くエスカレーターは無く、途中から駅員さんを呼んでリフト(折りたたみ式)を出してもらうか階段下りなければなりません。改札から地下鉄の乗り場まではエレベーターがありますが、これも1箇所で、分かりにくい所に設置してあります。福岡市営地下鉄のホームは大体良いのですが、福岡空港駅から各航空会社のカウンター(ターミナル)ですごく歩く所があります。(現在は乗換えを避け高速バスでターミナル前まで。でもバスのステップ高い、バス乗り場までの交通アクセスが無いので、タクシーを使用しています。お金は掛かるが、バス代は安いので…)
航空会社の対応ですが、私の場合は各航空会社のお手伝いをして下さるサービスに登録している為、安心?なのですが、ここで差が出るのは教育ですかねぇ〜?!
経験なのですが、団体で動いてる時はさほど感じないと思うのですが、個人だとわかるのです。
車椅子の操作・声のかけ方。私は、ついつい「こうして下さい。こうした方がいいですよ。」と言います。
これは私だけかも知れませんが、他の方より先に乗せて頂くのは有難いのですが、飛行機を降りる時や用を頼む時に、必ず名前を言われるのです。
他の乗客の方から振り向かれていやなのよね〜。降りるときの事は乗ってすぐに言って欲しい。これって、わがまま?
羽田に着くとまた、福岡とはやっぱり少し係員の対応が違いますね!慣れ?数?でしょうか?微妙に違いを感じます。
羽田からの交通アクセスは、ほとんどリムジンバスですが(ノンステップバスになれば・・・)目的地によっては乗り合いタクシーを使っております。
私の好きな駅・利用しやすい駅は、九州では小倉駅、大分県の別府駅、東京ではJR赤羽・四ッ谷駅、丸の内線の後楽園駅ですかねぇ〜!
最近は、地下鉄も1人の時は、乗れません。乗りません。こうやって私は、福岡=東京間を行き来しています。
重岡 利栄子
京都の花見旅
3月の29・30日に両親と京都にお花見に行ってきました。10年ほど前足がなんとか歩けていた頃、京都旅行を友人と周りました。その時には事前に京都の知人の所に宅配便で車椅子を送り、最低限歩いてどうしてもの時だけ車椅子を使っていました。その時は4月の1日、本当にきれいな桜に感動しました。そして今回両親と3人であの満開の桜を見たくて計画したのです。旅行社には、新幹線のチケットとホテルの手配をお願いして、後は無計画、ガイドブックを見るには見たけど現地へ行ってからということで。東京駅に向かうのが、平日の通勤時間と重なるので車椅子を載せることができるか不安でした。かなり早く家を出て、以外にも電車は空いていました。私の不安第一号クリアです。東京駅ではまだ時間が早いということであの南口の障害者用の待合室まで案内されました。ちょっと意外、ホームでお弁当選びたかったのに・・・。
京都着、さあこれからどうするか!荷物はホテルに届けてくれるサービスに預け、観光タクシーに乗ることにしました。タクシーに乗るのは何年ぶりか、車椅子に運転手さんがどう反応するか心配でした。そんな心配は無用、無事トランクに積み込みました。
嵯峨野方面を回ってもらい、見学におりた時は全て運転手さんが車椅子を押してくれたり、それもなれている様子。段差のないところをえらび、キャスター上げもばっちり。安心して任せられるかたでした。観光地のタクシードライバーさんは親切だとききますが、本当に実感しました。私だけが知らないのかもしれませんが、タクシーに障割があるということ。驚きました。ホテルはごく普通の造りで特に困りませんでしたが、洗面所のドアのノブがちょっと高い位置に取り付けられてあり、車椅子に乗った状態ではとどくかなと使うたび思いました。
翌日は南禅寺、清水寺ここでは車椅子用の順路が立てかけてあり、その通りにいくと境内まで行けるようになってあり、ちょっと坂が急ですがそんなに長い距離ではなく行って良かったと思える所でした。上から桜を眺められ母が感動していました。京都はどこも桜がいっぱい。ちりはじめの時期でしたがまだまだ満開の桜をたっぷりと堪能した旅でした。
行武 厚子
「日本旅行医学会設立記念講演会」に行って来ました。
2002年3月9日(土)、東京・津田ホールにて実施された講演会に勉強会からは、シンポジウム委員として草薙代表、参加者としては室井、山田、吉田、石倉が参加して参りました。
当会は、勉強会法人会員でもあるオブベースメディカの篠塚先生を初めとする医師を中心に構成しつつも、旅行業界関係者、利用者も含めた組織をめざし、旅における健康を取り扱っていくとのことであった。
特に印象的であったのは、日本人は自分の身体の事に無関心すぎるとの発言であった。万一、旅行先で病気になっても言語の問題はおろか持病を抱えていてもその症状を本人が把握しておらず、結果として病状を悪化させるケースも多いとの事であった。旅の受益者・提供者、そして医療従事者の全てが「旅の安全」をもっと意識すべきであると感じた。
興味深い話としては、歯科医の方の発表があった。非常に軽妙なトーク(と、言っては失礼か?)で歯の痛みは他のどの痛みにも匹敵すること、そして海外では歯の治療費は非常に高く、かつ、旅行保険の適用も効かないことの説明を受けた。旅行に行くために歯を治せとまでは言われなかったが、旅先で歯科医にかかるということは、相当大変なこと(肉体的・精神的・金銭的に)であると改めて実感した。
講演の最後に、演者から少々気になる発言があった。「旅行会社の人は、もっと多くの人が旅に出れるようもっと努力して頂きたい」確かに、我々の業界には不足点があるかもしれない。しかし現実には、医師が旅行に行く事を渋ったり、もしくは本人又は周囲の人間が、「こんな体で旅行に行くなんて!」という風潮があり、結果的にバリアになっている実態もある。業界だけの問題では決してないはずでは?
要は、「医療関係者」、「旅行業界関係者」、そして「利用者」すべてが一体となり「より安全な旅」を目指して活動していくことが必要では無いか?そのあたりの役割を「日本旅行医学会」に期待したいと思い帰途についた。
日本旅行医学会HPへのリンク
会員 石倉 康範
−編集後記−
●まだまだ花粉症に悩まされるこの時期、朝は布団から出ると挨拶代わりに連発。夜はお風呂からでるとおやすみの連発。早くスッキリしたいです。(行武厚子)
●7ヶ月ぶりに就職。勤務地は家から徒歩20分という近さ。最近年のせいか「満員電車」が苦痛になってきたので良かった!と思っていたのですが、スーパーや金融機関は通勤経路から正反対。空しく自宅前を行き来する日々です。(木村朋子)
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会報第57号(2002年3月14日発行)より
−編集後記−
●ぽかぽかと暖かい陽気になりましたね。車椅子の外出も気持ちのいいものになりました。だけど鼻がむずむず、洗濯物を取り込んだだけでくしゃみがとまりません。常にテイッシュがそばにないと不安。早く花粉が止まり穏やかな季節が来ますようにと願っている毎日です。
(行武厚子)
●「宝石箱をひっくりかえしたような…・・」使い古された表現ですが、それ以外の表現方法が見つからない素晴らしさ。先日ヘリコプターで東京都心の夜景見物クルージングをしてきました。
浦安へリポートから、TDR・お台場・渋谷・新宿たった20分間でしたが、「夢のよう」でした。まあ、料金のほうも充分に「夢のよう」でした…・(木村朋子)
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会報第56号(2002年2月19日発行)より
行ってきました、こんな旅 〜『やんばる体感モニターツアー』(1/23-26)〜 (会員からの寄稿)
今回のモニターツアーは、都市と農村の交流および地域の振興・活性化の促進につとめている社団法人全国農協観光協会が実施しました。参加者は、当協会の会員組織「ふるさと倶楽部」の会員34名で、最年少19歳から最高齢81歳を含め60歳以上が13名と高齢の人が多かったです。ツアーの内容は、たくさんの観光ポイントを忙しく回る一般のツアーとは異なり、沖縄の農業・青い海・郷土食・自然を体感し、日本一の長寿を学ぶというものです。具体的には、伊江島でのさとうきび収穫体験、黒糖づくり、島豆腐づくり、島のシンボル・城山(タッチュー)の登山や島民との交流会、今帰仁城跡の見学とさくらの花見、長寿村・大宜味村での「長寿と健康食セミナー」、国頭村での比地大滝のトレッキング、那覇市での牧志公設市場見学と盛り沢山でした。
印象に残ったのは、初めて行った伊江島のすばらしさ、島のみなさんのあたたかいおもてなしでした。それと、さとうきびのまるかじりは甘かった、作りたてのゆし豆腐は絶品、黒糖も美味しかったです。また、島内の観光地には、車いす対応のトイレやスロープなども整備されていました。役場の担当者に聞いたら、これは島民の声を反映して設置したそうです。
大宜味村のセミナーも印象的で村の人口約3500人のうち90歳を越える長寿者が約80人もいて、村内の老人は"生きている限り現役"という意識が高いとおっしゃった照屋町長のお話が印象的でした。また、「日本一長寿宣言の村」という碑に刻まれていた以下の内容が強く印象に残っていますのでご紹介いたします。
『80歳はサワラビ(童)、90歳となって迎えに来たら、100歳まで待てと追い返せ、我らは老いてますます意気盛んなり、老いては子に甘えるな。長寿を誇るなら我が村に来たれ、自然の恵みと長寿の秘訣を授けよう。』
米国同時多発テロ事件の影響で観光客が激減している沖縄、このツアーに参加して、より身近に沖縄を感じることができ、本当に「だいじょうぶさぁ〜沖縄」と大きな声で言いたいです。(高橋敦)
−編集後記−
●作成中
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会報第55号(2002年1月9日発行)より
行ってきました、こんな旅 〜ベトナム旅行記〜 (会員からの寄稿)
昨年12月にハノイで開かれた『「国連アジア太平洋障害者の十年」推進NGO会議(RNNキャンペーン会議)2001』に参加をしました。アジア太平洋地域から1300人近い障害者等があつまり、(ベトナム国内参加者779名、国外参加者515名、うち日本からの参加者は201名)盛況のうちに終了しました。
全部を報告すると話は尽きませんが、分科会で「バリアフリー観光/Barrier-FreeTourism
For All」というテーマがありました。他のテーマは、「人権擁護」「障害のある女性・子どもの権利」「雇用創出・事業開拓」などといったものがメインで、そちらに多くの人が参加していたのですが、近年議論が活発になってきた「情報技術」「文化・スポーツ・芸術」とならんで、「余暇活動」の推進が新しい柱として加わったことに「障害者の権利」の裾野の広がりを感じています。
内容については、宿泊、交通、食事などアクセスに関する配慮の必要性と消費者意識の重要さなどについてのものが主で、議論としてはシンプルな感があったものの(各国事情の格差がある中でとりまとめる国際会議とはこのようなものだと納得しておりました)、「法整備の必要性」については、不便と感じた人たちの声を反映させる法体系のありかたや、サービス提供者に課せられる義務などについて、アジアやオセアニアの先進国が牽引してやっていくべきとの提言があり印象的でした。
プレゼンターをつとめてくださったJean-Louis
Vignuda氏(国連ESCAP/Tourism Unit)のお話を伺いましたが、国境・地域を越えたネットワークの確立と情報交換をたくさんしたい、とのことで、本会のような組織との交流を強く求められていた感があります。
このキャンペーンは今年が最終年。10月21日〜23日に大阪で開かれ、「ポスト十年」につなぐ真剣な討論が繰り広げられる予定です。(吉田岳史)
「アジア太平洋障害者の十年」最終年記念フォーラム
http://www.normanet.ne.jp/~forum/
−編集後記−
●新年明けましておめでとうございます。毎年我が家は深川の富岡八幡様に初詣にでかけます。何故か例年人がいなくなる夜にお参りしていたのですが、今年は昼間に出かけました。人ごみを車椅子で入り込むのは結構勇気が要りますが「お参りに来たぞ」という雰囲気、迫力を感じながら一年の無事をお祈りしてきました。今年もよろしくお願いします。(行武厚子)
●行ってきました。こんな旅 ミニ版 編集後記に代えて
12月末に「北京」に行ってきました。街はオリンピックを前にしてものすごい勢いで近代化が進んでいました。林立する超高層住宅、開通したばかりの高速道路、資本主義国と何ら代わらない町中の広告塔・テレビCM。携帯電話を持った若者がスターバックスカフェでくつろいでいました。古い一軒家はどんどん取り壊され引越し先のお知らせらしき貼り紙が寒風にゆれていました。新しい道には日本と同規格の点字ブロックが完備され、交差点では段差が解消されています。
しかし4日間のうち、車椅子利用者や白杖利用者は見かけませんでしたけど。
聞く所によるとこの町の近代化は「国家」主導で国民にはそれなりの負担やしわ寄せが有るとのことです。良きつけ悪きにつけ今の日本では実現不可能と思われます。そして自家用車は年々増えて町中は大渋滞、交通ルールも守られず、朝夕は自動車の隙間を自転車軍団がスリル満点に抜け走ります。なぜかライト取り付けられている自転車がないので夜は結構危ないのです。北京市は広大ですが、人の数も膨大でした。観光は紫禁城、天按門広場、天壇公園、ハイライトの万里の長城などスケールが大きく素晴らしい見所でした。(木村朋子)
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会報第54号(2001年12月12日発行)より
勉強会のオリジナルサイト開設!「やさしいたびネット(yasashiitabi.net)」です!
勉強会の念願であったオリジナルのWebサイト(ホームページ)が、11月20日にオー
プンしました。
「未来の旅行像」をシンボライズして描かれたイラストをイメージとして使ったこのサイトでは、勉強会の概要から活動内容の紹介、定例会やイベントなどの新着情報を随時公開していきます。また、海外情報も含めた情報の窓口として「やさしい旅のインフォメーション」、「学び隊」へのリンクなど、今後もさらに充実させていく予定です。まだ完全なサイトとは言えませんが、将来的には会員の皆さんでこのページを発展させ、勉強会の財産として多いに活用していきたいと思います。(吉田岳史)
「もっと優しい旅への勉強会」Webサイトのアドレス http://www.yasashiitabi.net
お問い合わせ先 info@yasashiitabi.net
トラベルマートブース運営担当者Y.I.の雑感でーす。
さてさて、このトラベルマート。 目立ったのがいわゆる「ギョーカイ関係者」ではない一般来場者数が多かった事でした!
一般公開日を増やしたり(1日⇒1.5日)、会場としてはメジャーなビッグサイトに会場を変更したためでしょうか。特に最終日は土曜日という事もあり、家族連れ、学生などの姿がかなり目立ちました。さて、会場の様子ですが、我々のブースの周りに目をやると、大きな福引をやっている某米国航空会社のブースには長蛇の列が! おやおやビールを配っている某ドイツ観光局ブースにはジョッキを抱えた黒山の人だかりが! アレレ…何故かうちの会の副代表と広報委員の姿が???ちょっといい色になったような気もしますが、気のせいでしょうか??
なんて感じで広い会場のあちこちで趣向を凝らした展示やイベントが3日間繰り広げられました。(石倉康範)
−編集後記−
●JATAトラベルマートのブースお手伝いを少々致しました。予想以上に沢山の方がバリアフリー旅行に関心を寄せていることに改めて気が付きました。この勉強会も新たな広がりが予想されます。そして皆さん当会HPみてHP観て下さいね。アドレスは本文参照ヨロシク!。(木村朋子)
●先日パソコンのプリンターのインクがなくなり買いにいったのです。いつもの売り場に「ない!いつもここなのに」他のインクがずらり。お店の人に聞くと「その商品は製造停止になりました」ということはプリンターを買い換えろといいたいの?まだまだ元気なのに。「パソコン3年説」とはこういう意味であったかとショック。(行武厚子)
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